芭蕉布

沖縄の豊かな自然と温暖な気候の中で育つ、糸芭蕉(イトバショウ)。
芭蕉科の多年草で、バナナの木とよく似ていますが、実は種が多く食用には向いていません。
そんな糸芭蕉の繊維を取り出し、1本の糸にして、織り上げるのが芭蕉布です。

【沖縄の人々と芭蕉布】
沖縄では、古くから芭蕉布と密接な関わりを持ってきました。
その歴史は800年近いとも言われています。
琉球王国時代には広大な土地で糸芭蕉を王宮が生産しており、また各家庭でも糸芭蕉を育て、各々で糸を生産していました。
糸芭蕉は、茎の部分が多層になっており、一枚一枚剥がしていくのですが、より内側の繊維の方が柔らかく、主に着物に用いられます。

【糸芭蕉が着物になるまで】
一枚の着物を作る為には、糸芭蕉200本分の繊維が必要です。
繊維を取り出した後、それを細かく裂いていきます。
その細い繊維を1本1本手作業で結んでいき、1本の長い糸にするのですが、結ぶ回数の合計は約2万回にも及びます。
そういった工程を経てようやく機織りの作業に入っていくことが出来るのです。
この為、着物1枚を作るのに半年以上の月日を要します。

【思いを伝える芭蕉布】
沖縄にはこんな詩があります。
「芭蕉の糸を績み 上等な布を織り上げて 私の大事な光り輝くあの方の 着物を作って差し上げましょう」
昔は主に機を織るのは女性の役割だったので、長旅に出る男性に丹精を込めて織り上げた芭蕉布を渡すことで無事に帰って来れるようにという思いが込められています。
沖縄では着物はただ単に着るものというだけでなく、その人の生命や魂を守る神秘的な力を持っていると考えられていました。
その為、大切な人を想えば、手間と時間がかかる芭蕉布作りも苦ではなかったのです。

【芭蕉布の復興の歴史】
第二次世界大戦後、芭蕉布は存続の危機に立たされていました。
そんな中、芭蕉布復興の中心を担ったのが平良敏子さんです。
戦前、当時の喜如嘉区長として大宜味村芭蕉布織物組合を設立した平良真次さんの娘で、戦争中は女子挺身隊の一員として岡山県倉敷市で働いていました。
戦争が終わると倉敷の紡績工場で技術を学び、沖縄へ帰郷します。
そして芭蕉布の復興を目指し、懸命な努力の末、喜如嘉にて生産を開始。数々の作品展に出品し、多くの賞を受賞していきます。
知名度も再び上昇すると、織り手を雇用し、新商品を次々に開発していきました。
こうしてなんとか伝統を繋いだことで、1974(昭和49)年には、喜如嘉の芭蕉布が国の重要無形文化財に指定されました。
その後、経済産業省指定伝統的工芸品に指定。そして平良敏子さんも人間国宝へ指定されました。

名称 喜如嘉芭蕉布保存会
URL http://bashofu.jp/index.html
名称 喜如嘉の空を見上げて
URL http://bashofu.ti-da.net/

【参考情報】
喜如嘉の芭蕉布パンフレット

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