ブログ

自然布、古代織コラム第三回:芭蕉布

芭蕉布1
【目次】
1.沖縄の代表する織物
2.芭蕉布の素材・技法
3.「喜如嘉の芭蕉布」の歴史
4.芭蕉布とは

1.沖縄の代表する織物

芭蕉布2
芭蕉布といえば着物好きならずとも一度は袖を通してみたいと思うような、そんな憧れの着物ではないでしょうか?
南国の強い日差しの中でも肌にまとわりつかず、軽く・つやのある飴色の着物。
それは沖縄を代表する織物であり、その気候風土が生んだ非常に特色のある織物です。

かつては貴賎・階級・男女問わず、それこそ与那国島から奄美群島にたる琉球列島各地で織り・使われておりました。
まさに琉球の人々にとって生活に不可欠な衣類であり、日々の生活を支えてた布なのです。

2.芭蕉布の素材・技法

芭蕉布3
芭蕉布はバナナ(実芭蕉)の仲間である糸芭蕉の葉脈部分から繊維をとります。
山野に自生しているものは繊維が固く上質な繊維はとれないため栽培したものを使用しており、その芭蕉は地下茎で増え続け、数十年は植え替える必要がありません。

芭蕉の収穫は10月から2月頃、根本から伐採し、先に刃物で切り込みを入れ一枚一枚剥いでいきます。
それは乳白色の苧で非常に水分を多く含み、沖縄の太陽の下光り輝きます。
その後大釜に入れた灰汁で炊き、余分な繊維を引き落し、乾燥させ、糸績みへと続きます。

糸績みは製作工程の中で一番慎重な作業が求められ、もっとも時間がかかる工程です。
一本一本の繊維を繋いで一本の糸にしていきます。熟練者の作業は息をするような自然さで途切れなく、手が踊るように芭蕉の糸を績んでいきます。
その方法は繊維同士を結び、余分な部分を小刀で切り落とすというもの、その技法に地域差があったようでかつては撚り繋ぐ事で糸作りをしていたとこもあったそうです。
その後強度を出すために糸車にて撚り掛けを施し、ようやく糸作りの完了、そして機織りへと続きます。

芭蕉布4
芭蕉布5

3.「喜如嘉の芭蕉布」の歴史

先にも述べた通り芭蕉布は琉球列島各地で生産されていましたが、現在は喜如嘉を中心にして他数か所を数えるのみとなってしまいました。
その喜如嘉が芭蕉布の産地として一般に知られるようになるのは大正期くらいから。
それまでは腕の良い大工を輩出する地として知られており、出稼ぎで村に残った女性たちが副業にと始めた事に端を発します。

非常に意外に思われるかもしれませんが、喜如嘉の芭蕉布は琉球時代から名産というわけではなく、明治以降に那覇など都市部との接触を通じて独自発達していったという歴史的な背景があります。
そして芭蕉布最大の危機が訪れます。

第二次世界対戦・沖縄戦で壊滅的な被害を受け沖縄はまさに焼土と化しました。
そんな状況の中でも芭蕉布が現在に伝わっているのは、芭蕉布を復興した平良敏子を中心に人の出会い、そして芭蕉布への情熱を持ち続けた喜如嘉の女性たちの存在があります。

戦時中、女子挺身隊の一員で岡山県・倉敷にいた平良敏子はその地で終戦を迎えました。
倉敷紡績の大原総一郎社長は沖縄出身者の女性たちを手厚く保護し、元倉敷民芸館館長の外村吉之介に引き合わせ染・織を学ばせ、沖縄の染色を頼みたい、と希望を託します。
喜如嘉に帰郷後芭蕉布復興を決意し戦争未亡人らに呼びかけ生産を再開、長らく厳しい状況がつづくも徐々に認められ次々と賞を受賞。
そののち喜如嘉の芭蕉布は優れた工芸品として高い評価を受け昭和47年には県の無形文化財登録、その二年後には国指定の重要無形文化財として平良敏子を代表とする「喜如嘉の芭蕉布保存会」が保持団体の指定を受けるまでになりました。

4.芭蕉布とは

このように芭蕉布は蝉の羽衣のような美しい着物で、身にまとうと肌に貼りつかず風が通り抜けるような冷涼な布、沖縄の風土が生んだもっとも沖縄らしい織物と言って過言ではないでしょう。
そして平良敏子さんを中心に地元の人々の手仕事と熱意によって現代まで伝わっている、人がつないだ織物が芭蕉布なのです。

ライター : 宵衣堂 健太

関連記事

ページ上部へ戻る